 |
昔から今市越路谷の水田に温かい湧き水があり、寒い冬には水蒸気が立ち上っていたこの付近の地名を湯鼻と呼んでいることからも、この付近に湯がわくことが知られていました。
百数十年前から、温泉を堀ってその利用を願う地元の人々の手で根気強く掘られましたが、幾度となく失敗に終わりました。
大正十年ごろ温泉の夢を捨てきれなかったある人物が、冷泉に熱を加え男女の湯小屋を建てました。その当時、「今市に温泉が出るそうだ。」「万病によく効くそうだ。」と地元はもとより近村に評判になり、浴場はいつも満員であったといわれています。これが鹿野温泉の由来です。
やがて昭和二十八年に本格的な調査が始まり、翌年、今市の湯花を掘削したところ浴用に出来る程度の泉源を発見することができ、待ちに待った公衆浴場の建設がされました。これがきっかけとなりあちこちで試掘されるようになりました。
泉源は浅くは30メートルから数十メートルから汲み上げられているということです。
昭和三十年の町村合併により鹿野町が誕生し温泉の開発、管理行うようになると泉源も増え、「鹿野温泉」として知られるようになりました。 |
 |

鹿野町は、昭和47年4月に良質な温泉を利用して国民に健全な休養宿泊施設を提供し、その保健衛生の向上と鹿野町の観光事業振興に寄与することを目的として、町営国民宿舎山紫苑が建設されました。
鹿野町はこの温泉を保養やリハビリーのために利用するとして、昭和41年に「国民保養温泉地」として国から指定されました。
そして昭和47年4月にこの良質な温泉を利用して国民に健全な休養宿泊施設を提供し、その保健衛生の向上と鹿野町の観光事業振興に寄与することを目的として、町営国民宿舎山紫苑が建設されました。
当時は、回りは田んぼで民家もなく洋風の建物がよく目立っていました。
客室は20室、定員81名で1階の部屋は植物の名前が付けられ、2階は自然現象の名前、当時としては贅沢な造りといわれていました。
地元では京風の薄味がなじまれず、吸い物は「水を飲ませるのか」いわれたこともあるとわれています。そんな中で何か名物を作らなければと考えられたのがスッポン料理でした。その味は現在も変わらず山紫苑の名物料理として好評を得ています。
まだ全国の国民宿舎に露天風呂がない頃、山紫苑には一箇所だけだが広い露天風呂ができました。回りに目隠しのない本当に開放感のある露天風呂で、数人の年配の男女が和やかに混浴している姿がよく覗われました。
「広々とした庭が眺められる露天風呂」として山紫苑にもう1つ名物ができたのでした。
平成6年には鷲峰山をイメージした新館が増築されました。建物の上に取り付けてあるオブジェを見て、「あれは菅笠だ。いや、鷲のとさかだ。」などとよく言われていたが、鷲峰山のイメージで設計してあることから鷲の頭であるということです。
また、夜になると山中鹿之介の兜に付いている三ヶ月のように見え、これが幻想的に浮かんで見える場所あることはあまり知られていないようです。
やがて、温泉ブームから、男女別々の大きな石を施した露天風呂が平成12年に完成しました。
山紫苑は開設以来かずかずの歴史を経て、昨年35周年記念イベントを済ませ新たな気持ちでお客様をお迎えしています。
|